「音の向こう側へ」

放課後の音楽教室には、いつも少し特別な空気が漂っていた。窓から差し込む夕陽が黒いピアノの表面に淡く反射し、静かな部屋に柔らかい光の帯を作っている。その中に、五人の初心者が集まっていた。ユウ、ミナ、タケル、サラ、リョウ。それぞれが違う理由でピアノを始め、それぞれが違う壁にぶつかっていた。

ユウは、両手で弾こうとすると音が崩れてしまうことに悩んでいた。右手は軽やかに動くし、左手もゆっくりなら弾ける。しかし両手を合わせた瞬間、まるで二人の自分が別々の方向に走り出すように、音がぐしゃっと崩れてしまうのだ。「なんでだよ…片手なら弾けるのに」ユウは悔しさで唇を噛んだ。

何度も挑戦しては崩れ、挑戦しては崩れた。ユウはふと気づいた。「もしかして…片手の完成度が足りないのかもしれない」右手はスラスラ弾けるが、左手はよく見ると指がぎこちない。そこでユウは左手だけで十回連続ミスなしを目標にした。時間はかかったが、十回目の成功を迎えたとき、胸の奥に小さな自信が灯った。

再び両手で弾いてみる。テンポは半分、たった一〜二小節だけ。ゆっくり、ゆっくり。右手が動く。左手も迷わずついてくる。「……弾けた!」ユウは思わず笑った。両手で弾けない理由は、両手の問題ではなく、片手の自動化不足だったのだ。

ミナは、速いフレーズになると指がもつれてしまうことに悩んでいた。「私、指が弱いのかな…?」そう思い込んでいたが、先生の一言がミナの世界を変えた。「ミナちゃん、指は力じゃなくて“動きの型”で動くんだよ」ミナはテンポを半分に落とし、指を高く上げず、鍵盤の近くで動かしてみた。すると、ゆっくりなら弾ける。「筋力じゃなくて、型の問題なんだ…!」

ミナは毎日三分だけスケールを練習した。指番号を声に出しながら、手首を柔らかく保ちながら。数日後、指が自然に動くようになっていた。速いフレーズでも、以前のように指が跳ねたりもつれたりしない。ミナは気づいた。指が動かないのは才能でも筋力でもなく、“動きの型”を知らないだけだったのだ。

タケルは、楽譜を見ると頭が真っ白になるタイプだった。特にヘ音記号が苦手で、読むのに時間がかかる。「読めないから弾けない。弾けないから楽しくない」そんな悪循環に陥っていた。タケルは毎日一分だけ音読みを続けることにした。リズムは手拍子で先に理解するようにした。

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